紀伊國日吉神社は、聖武天皇(45代)が仏教による国家鎮護のために命じた国分寺の精神を受け継ぎ、神仏習合の美を今に伝える神聖な場所です。この神社は、全国に広がる国分寺の中でも、特に重要な位置を占めている場所と言われています。
国分寺の正式名称である金光明四天王護国之寺とは、奈良時代に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺で、正式には東大寺の別称です。この名前は、国分僧寺の正式な名称であり、『金光明最勝王経』の教えに基づき、四天王による国家鎮護を期待する国立寺院でした。東大寺は、その壮大な伽藍や文化財とともに、日本の仏教文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けられました。
一方、法華滅罪之寺は、国分尼寺の正称であり、光明皇后によって創建された法華寺の別称です。法華寺は、女人成仏の根本道場としての役割を担い、皇后は法華寺において尼僧の仏学研鑽を勧め、女人成仏の規範を示されました。法華寺は、奈良時代には日本の総国分尼寺とされ、光明皇后の発願によって建立された門跡尼寺として知られています。
日吉神社の西に位置する尼寺に祀られていたとされる「願い石」は、神社境内に移されており、願いが叶う石として現在も多くの参拝者に親しまれています。
さらに、国分寺の北に位置する梵天山(ぼんてんやま)は、自然の中にある神聖な山であり、その山自体が神社の御神体とされています。
梵天山は、和泉山脈の中央部に位置する標高469mの山で、大阪府と和歌山県の境に位置します。
また梵天山は、鹿児島県の新田神社から鹿島神宮までの中央構造線のほぼ真ん中に位置しており、この山は自然との調和を大切にする神社の信仰と直結しており、訪れる人々にとっては、自然の中で神聖な気持ちになれる場所として重要な意味を持っています。
紀伊國日吉神社は、その歴史的背景と地理的背景ともに、自然との調和と、訪れる人々に安らぎを与える空間としての役割を果たしてきました。
日吉神社は、滋賀県大津市坂本の日吉大社から勧請されたと伝わり、平安京の表鬼門にあたることから、都の魔除け、災難除けを祈る社として重要視されてきました。また日吉神社は国分寺の総鎮守として祀られて来ました。
訪れる人々は、紀伊国分寺と日吉神社の豊かな自然と、歴史を感じさせる建築物に触れることで、心の平穏と日本の伝統的な価値観を再発見することが出来るでしょう。
私たちの紀伊國日吉神社は、古き良き日本の精神を今に伝え、訪れるすべての人々に平和と調和のメッセージを届ける場所です。日吉神社の主祭神の国常立命は、国家鎮護の神として重要な役割を果たすため祀られています。

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